【水への権利は基本的人権/ボリビアからの提案】パブロ・ソロン・ボリビア国連大使による国連演説「水と衛生に対する人としての権利」

以下からこの演説のワード文書をダウンロード可能です
国連演説「水と衛生に間する人としての権利」.doc 直


原文は以下参照(翻訳は柿元えり子さんによる)
UN Speech on “The Human Right to Water and Sanitation”
http://pwccc.wordpress.com/2010/07/28/speech-the-human-right-to-water-and-sanitation/



(写真〔右〕:パブロ・ソロン・ボリビア国連大使)

気候変動と母なる地球の権利に関する世界民衆会議のHPより


国連演説「水と衛生に対する人としての権利」


2010年7月28日 ニュース、ニュースレター


ボリビア多民族国の常任委員による介入


「水と衛生に対する人としての権利」


2010年7月28日


議長、

まず初めに、本決議の提示にあたり、人類は基本的に水であると言うことを思い起こして頂きたいと思います。私たちの体内組織の3分の2は、水でできています。脳の約75%は水で、水は、私たちの体の電気伝達の基本的な媒体です。

また血は、体内の川のネットワークのように流れています。体内の血は、栄養分やエネルギーを体内組織に届けます。さらに、水は、死んだ細胞を排泄します。また私たちの体温を調節したりします。

体内の水分が20%失われると、私たちは死んでしまいます。食料なしでは数週間閾のぶることはできますが、水がなければ2,3週間も生き延びることはできません。水は私たちの命ともいえます。

さて、本日は、次の共同提案国を代表して、総会本会議の検討事項に関する歴史的な解決について表明します。共同提案国は、アンゴラ、アンチグアバーブーダ、アゼルバイジャンバーレーンバングラディッシュ、ベニン、ボリビア多民族国、ブルンディ、中央アフリカ共和国コンゴキューバ、ドミニカ、ドミニカ共和国エクアドル、エルサルバドール、エリトリア、フィジージョージアギニア、ハイチ、マダカスカル、 モルディブモーリシャスニカラグア、ナイジェリア、パラグアイセントルシアセントビンセントおよびグレナディーン諸島サモアサウジアラビアセルビアセーシェル共和国ソロモン諸島スリランカ、ツバル、ウルグアイ、 ヴァヌアツ、ベネスエラ・ボリバル共和国、イエメンです。

健康に対する権利は、もともと1945年に世界保健機関によって決定されたものです。 1948年には、世界人権宣言が、「生きる権利」、「教育を受ける権利」、「働く権利」を宣言しました。 1966年に、さらに、十分な食料、衣料、住居を含み、「社会保障を受ける権利」、「十分な生活水準を保持する権利」が、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」に組み込まれました。

しかし、水に対する権利は、人権差別撤廃条約、女性差別撤廃条約子供の権利条約、障害者権利条約などの様々の国際的な法律文書で明確に言及されているにもかかわらず、十分認識されてきませんでした。



(写真〔左〕:コチャバンバの水戦争での民衆の勝利10周年を記念するデモ行進)

このため、私たちは、共同提案者らと共に、水と衛生に対する人としての権利を、直ちに認識するよう、この決議を表明します。現在でも、安全な飲み水がないために病気が発生し、衛生が十分でないために戦争よりも悲惨な状態が発生しています。

毎年350万人が、水系感染症で亡くなっています。

5歳以下の子供たちの死亡原因で2番目に多いのは、下痢です。飲料水へのアクセスが出来ないため死亡する子どもたちの数は、エイズマラリア、併合天然痘で死亡する数を超えています。

全世界では、飲料水の不足によって約8人に1人が死亡しています。

また、女性たちは家庭で使用するためにまる1日かけて水を収集し、それを家に運ぶのに2億時間以上費やしています。

衛生の不足状態はさらに深刻で、26億人、つまり世界人口の40%の人々に影響を与えています。

ここで、独立専門家の報告書を紹介します。

「衛生は、その他の人権以上として考えるべきで、人間としての尊厳の概念を喚起させます。毎日多くの人々が経験しているのですが、その脆弱性や侮辱について考えてみてください。野外でバケツやビニール袋に排泄しなければならないのです。このような状態を侮辱するのは恥しいことだと言わなければなりません。」

世界中のほとんどの病気は、糞便が原因です。衛生状態が十分であれば、下痢が原因の子供の死亡を3分の1以上減少させることが出来ると予測されています。

来る日も来る日も、世界中の病院のベッドの半分は、安全な水と衛生の不足による病気で苦しんでいる人々が使っています。



(2000年のボリビアコチャバンバ市での水戦争では軍隊が出動し水の民営化に反対する市民6人が虐殺された)


議長

人権には十分な概念がありませんが、その基本は現実と経験です。例えば、世界人権宣言にある教育を受ける権利は、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」、「住民族の権利に関する国際連合宣言」などのその他の国際法律文書などとともに、長い間で構築され、そして規定されました。「水と衛生に対する人としての権利」についても同じことが言えるでしょう。

そのため、独立専門家が、委任のすべての局面について継続的に作業するとする決議の効力を発する3つ目の段落で、本決議の効力について、強調、奨励し、さらに、「安全できれいな飲み水と衛生に対する人としての権利の実現、『ミレニアム開発目標』ノ達成に対する影響に関する主な課題」について総会に提出します。

ミレニアム開発目標に関するサミット」が近づいており、飲み水と衛生は、人の権利であること、また、この目標を達成するのに、さらにわずか5年しかないですが、これを達成するのにすべてを行うことを明確に打ち出すことが必要である。



(写真〔左〕:コチャバンバの水戦争はボリビア人民の抵抗運動により勝利した)


このため、決議の効力を発する2つ目の段落が重要であると確信します。この段落は、「国内および国際的機関に対して、特に途上国において、財政支援、能力構築とテクノロジーの移転、国際支援と協力により、安全、清潔、入手可能な飲み水と衛生を全ての人に提供する取り組みを拡大するよう求める」と述べています。

すべての決議は、問題の核心を指摘する段落が含まれており、この決議の核心は、効力を発する最初の段落にあります。多くに非公式の協議では、本決議に関連しない課題を除き、また常にバランスを求めながら、加盟国間の異なる懸案事項について、決議の核心を損なわず、必死で調整を行ってきました。

飲み水と衛生に対する権利は、生活の完全な享受に欠かせない人としての権利です。

飲み水と衛生は、「十分な生活基準に対する権利」等のその他の権利の単なる構成要素または基本的構成要素ではありません。「飲み水と衛生に対する人としての権利は、それ自体で認識すべき権利です。国に対して、飲み水と衛生へのアクセスに関連する人としての権利の義務に従うことを強要するには十分でありません。それどころか、飲み水と衛生に対する人としての権利を促進し、保護するよう各国に求めることが必要です。



(写真〔右〕:水の民営化に反対する民衆の闘いは続いている)


議長

本決議の本質に関する観点を見失わず、透明性と理解を求める取り組みにおいて、共同提案者の名目で、「宣言する」と言う用語を「認識する」に置き換えた効力を発する決議の最初の段落に対して提案し、口頭による修正を行いたいと思います。

議長

本決議に関して検討する前に、世界保健機関ユニセフに出版の2009年のレポート「下痢で子供たちは今もなくなっている。何が出来るのか(Diarrhoea: Why children are still dying and what can be done)」によると、途上国では、清潔でない飲み水による下痢などの予防可能な原因によって、毎日2万4千人の子供たちが死亡していることを、すべての代表が心にとめて置かれるよう希望します。3.5秒に一人の子供が死亡しています。

1,2,3・・・と数得る間に1人の子供が亡くなっています。

「今こそ、行動する時です。」

ご清聴どうもありがとうございました。

本スピーチは、2010年7月28日、国連総会前に、ボリビア多民族国のPablo Solón 大使が行ったものである。